私と天使ちゃんとふがいない日々

シングルマザーのへっぽこ美術教師

28日(土)

朝 スクランブルエッグ パン ヨーグルト

昼 おでん チャーハン 

晩 モツ鍋

29日(日)

朝 オイルサーディンとパン ヨーグルト

昼 親子丼

晩 ロールキャベツ

30日

朝 味噌汁とごはん 魚

昼 ポテトグラタン

晩 白菜サラダ、 牛肉ジャー 楽しい豆腐

全然やる気がしない日を2日も過ごした。生きる意味を完全に見失った。

そしてきっとあの子が自殺したからだろう。私の心の奥の何処かですごく悲しんでいる。

だってあの子がいない世界。存在しない世界。

私もいつか死ぬのだろう。それは悲しいことなのか、どうなのかわからない。

でもどうしょうもないこと。私のしていることなんてどうでも良いこと。一人で馬鹿みたいだった。ありがとう。おつかれさま。本当にごめんね。

羽田空港にいく

今日は断捨離と衣替え

買い物、ジャム作り

夕方から北海道に行った智彦くんを迎えに羽田空港に行く。

なんだかホッとする。運転もしてくれて、話も聞いてくれる。

穏やかな気持でいられる。しんどくない

 

今日の言い合い

学年主任と言い合いっぽくなった。

それはそれで良いと思う。常に同じ考え訳では無いし、

自分の考えを述べておくのは

大切なこと。

自分の立場が危うくなる?

最初から危うい。

でも言いたいことは我慢しない。

後ろめたいことはやっていない。

でも説明上手になりたい。

きちんと自分の考えを相手に伝えて

コミュニケーションを取るように心がけよう。

東京物語

なんであんな映画を作ったろう。

哀しくて、さびしくて、心があたたまるのか、わからない。

泣いたり、嘆いたりはするけれど、心の声は口に出さない。

悪口は言わない。悪口は決して言わない。

生きていること、生かされたこと、産んだこと、育てたことに悔いはない。

でも本当にこんなで良かったのだろうか。

私達は生きていくことに必死だけれど、忘れたり、見逃したり、見ないようにしたり、

自分のことは見えたり、頑張っているけれど、優しさはどこへ行ってしまったのだろうか。

生きている時は気のつかないやつだったけんど、こんなんなるんなら、生きてるうちにもっと優しくしてやればー良かった。

笠智衆が言う。

あのぼうっとした肉厚なお母さんは優しそうな目の中に

死や忘却や絶望や辛辣さを宿していた。

〇〇くんは将来何になるんや。おばあちゃんはその頃生きているやろか。

草むらで幼い孫にうわ言のように話しかけて、空を見つめる。

セリフがいちいち印象的で、今は言葉が実態を捉えていない、輪郭のはっきりしない、どうでも良い言葉が多すぎるけれど、あの映画の声や言葉は研ぎ澄まされて、重かった。

いほり

すごいテンションの高い娘がいる。

とっても前向きで、負けず嫌いで、そのままの自然なままの女の子。

とっても面白いし。いいヤツ。

楽しく生きようと、

きっとあの子にはいい事がいっぱいある。

生きる希望。世の光。