28日(土)
朝 スクランブルエッグ パン ヨーグルト
昼 おでん チャーハン
晩 モツ鍋
29日(日)
朝 オイルサーディンとパン ヨーグルト
昼 親子丼
晩 ロールキャベツ
30日
朝 味噌汁とごはん 魚
昼 ポテトグラタン
晩 白菜サラダ、 牛肉ジャー 楽しい豆腐
やりたいこと
1自然の中を散歩する
2家の中を掃除する。
3絵を描く
4美味しいカフェラテを飲む
5シャワーを浴びる
6ヨガに行く
7ダンスを習う
8本を読む
全然やる気がしない日を2日も過ごした。生きる意味を完全に見失った。
そしてきっとあの子が自殺したからだろう。私の心の奥の何処かですごく悲しんでいる。
だってあの子がいない世界。存在しない世界。
私もいつか死ぬのだろう。それは悲しいことなのか、どうなのかわからない。
でもどうしょうもないこと。私のしていることなんてどうでも良いこと。一人で馬鹿みたいだった。ありがとう。おつかれさま。本当にごめんね。
学年主任と言い合いっぽくなった。
それはそれで良いと思う。常に同じ考え訳では無いし、
自分の考えを述べておくのは
大切なこと。
自分の立場が危うくなる?
最初から危うい。
でも言いたいことは我慢しない。
後ろめたいことはやっていない。
でも説明上手になりたい。
きちんと自分の考えを相手に伝えて
コミュニケーションを取るように心がけよう。
なんであんな映画を作ったろう。
哀しくて、さびしくて、心があたたまるのか、わからない。
泣いたり、嘆いたりはするけれど、心の声は口に出さない。
悪口は言わない。悪口は決して言わない。
生きていること、生かされたこと、産んだこと、育てたことに悔いはない。
でも本当にこんなで良かったのだろうか。
私達は生きていくことに必死だけれど、忘れたり、見逃したり、見ないようにしたり、
自分のことは見えたり、頑張っているけれど、優しさはどこへ行ってしまったのだろうか。
生きている時は気のつかないやつだったけんど、こんなんなるんなら、生きてるうちにもっと優しくしてやればー良かった。
と笠智衆が言う。
あのぼうっとした肉厚なお母さんは優しそうな目の中に
死や忘却や絶望や辛辣さを宿していた。
〇〇くんは将来何になるんや。おばあちゃんはその頃生きているやろか。
草むらで幼い孫にうわ言のように話しかけて、空を見つめる。
セリフがいちいち印象的で、今は言葉が実態を捉えていない、輪郭のはっきりしない、どうでも良い言葉が多すぎるけれど、あの映画の声や言葉は研ぎ澄まされて、重かった。
すごいテンションの高い娘がいる。
とっても前向きで、負けず嫌いで、そのままの自然なままの女の子。
とっても面白いし。いいヤツ。
楽しく生きようと、
きっとあの子にはいい事がいっぱいある。
生きる希望。世の光。